司修展 「絵本との関係2020」

司修展 「絵本との関係2020」

会場: ギャラリーヒルゲート 1F・2F
会期:2020年9月8日(火)~9月20日(日)<9月14日(月)休廊>
開廊時間:12:00~19:00(最終日~17:00)

 

 ぼくが絵を描きだし、前橋から東京へ飛び出て行き、「死んでも絵かきになる」と意気込んでいたころからずっと、「売れるような絵を描いたらダメ」という雰囲気の中で生きた。新聞配達さえ雇ってもらえない時代であった。しかし、「ダメ」をいっている人たちはだいたい小、中、高、大の教員であった。

 それでもぼくががんばれたのは、大野五郎という画家と出会ったことである。貧乏なんてへいちゃらの生活をしていた大野さん家に行くと、「おれはまだまだ甘い」と思った。だが家賃滞納を誤魔化す術もなくなって、田舎へ逃げて行った。けれどあきらめきれず、敷金と二ヶ月分の家賃を懐に再び東京へ出て行った。出版社へいろんな絵の見本を持ち込んだ。家賃滞納半年後に、絵本の仕事が舞い込んだ。絵本も「売れる絵はダメ」のうちに入っていた。「誰も助けてくれないのだから、やるしかない」と腹をくくった。

 初めての依頼は『ちびくろサンボ』で、あった。続けて、『みにくいあひるの子』(1965どちらも偕成社)である。堕落の坂を下りていく思いを持ちながら絵本を描いた。その翌年、ここに出品した『サーカスがやってきた』の絵を描いた。とうぜん陰口をきかれるようになったが、ぼくは「おれも生きていかなくては絵を描けない」と怒り狂って絵を描いた。

 そうしているうちに、松谷みよ子さんの『まちんと』(1978 借成社)を頼まれ、ヒロシマの現実を取材するようになり、それまでの考えでは描けないと思うようになった。描けるようになるまで二年かかった。それからぼくの「絵本」は、自由に描く絵と同じく、一生の仕事とするようになった。展示替えした「原爆資料館」ショッピンクルームに、「まちんと」があった。描いてよかったなと思った。
                                     司 修

>>ギャリ―ヒルゲート