瀬戸理恵子展

瀬戸理恵子展

会場:天野画廊
会期:2020年1月20日(月)~ 2月1日(土)
時間:11:00〜19:00 日曜日休廊
   *最終日17:00まで

>>天野画廊

https://drive.google.com/open?id=1pe6IiEJ8KDtS3yNyuoWL7tuVnieomC1J
私を撮るということ

セルフポートレイトの撮影の始まりがいつだったか、定かではない。制作の現場でそれを始めたのは、1995年の夏、フィラデルフィアの大学院に留学中、そのスタジオの中でのことだった。三脚を立て、タイマーを設定し、10秒以内に作業中のポーズに戻るというのを繰り返した。やがて、作品の中に自分が入り込むようになり、当時はそのプリントの仕上がりを見るのが待ち遠しかった。そこに写っているのは私だったが、私ではない誰かを、いつも見ていた。

場所が変わり、カメラもデジタルになり、写った姿をその場で確認できるようになったが、この一連のプロセスは続いた。

作品を装着しての撮影が始まってしばらくは、何とか10秒で立ち位置に戻れたが、やがてそれも困難となってきた。移動中に作品が壊れたり、装着部品によっては、カメラの操作が出来なくなったりし始めたのだ。

2015年夏、高知在住の写真家、都築憲司氏に撮影をお願いした。都築氏の自宅の和室に暗幕を張り、ご家族が証明やレフ版を持って助手を務められての撮影現場は、とてもシュールだった。段ボールの鎧を着た私は、ライトの熱と、不安定な姿勢で長時間立つ事で、フラフラだった。それでも、自分が何か別のものになっていくような、妙な恍惚感があった。後目、高知から届いたモノクロのプリントを凡て、私は息を呑んだ。それは、私の力だけでは決して撮りえない、私を超えた、私だった。

都築氏との撮影コラボレーションは、その後も続いた。同じ試みを繰り返さない氏の姿勢と、毎回どう闘うか、挑戦の連続でもあった。

2019年の春、「僕の写真は個性が強いから、そろそろ瀬戸さんも自分で撮ってみたらどうですか?」と、告げられた。一瞬戸惑ったが、すぐに、「撮影してもらうのは、今回が最後でお願いします。」と、応えた。このまま続けていくかどうかを決める潮時が、到来していたのだ。

同年秋、やはり和室に暗幕が張られ、段ボールの組作品を設置し、その前に段ボールの鎧を着て、私は立った。撮影は難航した。私の、これが最後だという思いと僅かな迷いは、都築氏の眼には、明らか過ぎるほど映っていたはずだ。休憩をはさみ、もう一度、カメラの前に立った。身体の向きを変え、後ろの作品に意識を向けるよう促された。それからは、自然に撮影が進んだ。届いた最後のコラボレーション写真は、それを締めくくるのに相応しいものだった。

次に、私が私をどう撮るのか、まだ見えてこない。鎧を脱ぎ去り、脱皮できるのかも確かではない。しかし、新しい闘いを模索する日々だけは、確実に続いていく。
2020年1月 瀬戸理恵子